賭けない競馬

僕はギャンブルをしません。でも競馬は好きです。賭けなくても競馬は楽しめるものですよ。もちろん賭けること否定しているわけではないです。それが競馬の始まりのひとつでもあるのだろうから。自分の馬がいちばんだという主張を実際に走らせて試すというのに、賭けが絡まないはずはないから。そして賭けた方が真剣みが増すというのも確かだと思う。
競馬にはギャンブルとしての要素だけではなくて、スポーツとしての要素、知的ゲームとしての要素、ミーハー的な要素などがあると思います。僕はその3つで楽しんでいます。
まず、スポーツとしての要素。実際にそれをすることはまず無理なので観戦という形になります。TVやラジオの中継や競馬場で実際にレースを見ることもできます。さらに競馬は調教と呼ばれる訓練や練習の模様も情報が伝えられます。
 知的ゲームの要素として、いままでのレースの戦績、調教、走る前にその日の調子を見たりするパドック、走る寸前の練習の返し馬、逃げ・先行・差し・追い込みといった馬の走りかたの作戦、騎手の腕、騎手同士の駆け引き、コースとの相性、レースの展開、他の馬との力関係など、たくさんの要素からレースを予想するのです。この番号の馬が勝つとか、この名前の馬が来るとかいう、予想の仕方もあります。予想は予想する人の数だけあります。
ミーハー的な要素としてなら、この馬が好き、この騎手が好き、この調教師が好き、この生産牧場が好き、このオーナーが好きなどたくさんあります。あとはあの馬の子どもだから好きといったものもあります。「あの馬の子どもだから応援しよう」なんて云うのは長い間競馬をやればどんどん増えていくでしょうね。
この中でお薦めといえばやはりミーハー的な要素でしょう。好きな馬を見つけてその馬を応援するというだけでも楽しめるものです。好きな馬を決めるのも名前が面白いからとか、強いからとか、個性があるとか、かっこいいからとかなんでもいいのです。
個人的に云えば騎手の顔で決めるのはやめたほうがいい気がします(笑)。顔で選ぶなら競艇選手の方がかっこいい人たくさんいますよ。
というわけで賭けない競馬、楽しんでみてはいかがですか?